| まるで、蜜を求めるように群がる蜂のようだ。 教室に戻る途中の廊下で、一人の男子に群がる女子を見てそう思った。 「なんだ?」 「ああ、マスタング先輩だろ」 「生徒会長?」 「人気あるから」 教室の窓から男子生徒が数名、会話を弾ませていた。 「羨ましいな〜〜〜」 「うんうん。でも、会長は興味がないみたいでさ」 「へ?」 どういう意味だ、と問おうとした。 その時。 「急ぐから」 それだけを言い置いて、男は去っていった。 女子達が、縋るような声を上げて男を追っていく。 が。 そこで始業のチャイムが鳴った。 女子達は、ガックリと肩を落としながら各教室に戻っていった。 「今日も相手にしてもらえなかった」 「お菓子も受け取ってくれなかった」 「手紙も〜〜〜」 愚痴りながらも、次は絶対、と意気込む女子達。 「頑張るよな〜〜〜」 「どうして受け取らないんだ?」 「オレが知るかよ」 と、言いながら、傍観していた男子達も自分の席に戻っていった。 賑やかだった廊下はたった一人の女子だけが立ち尽くしていた。 § § 伸ばしっぱなしの横髪と瓶底眼鏡が小さな顔を覆い。 尻尾のような金の蜜編みの先っぽが歩くたびにひょこひょこ、と左右に動く。 白のワイシャツ。 首元には赤いリボン。 紺のジャケット。 膝丈の紺のチェックスカート。 白い足に白のソックスに白の上履きをはいた少女―エドワードが本棚と睨めっこしていた。 棚の一番上。 埃が被っていそうな場所に、目当ての本が納まっていた。 梯子がないか、周囲を見渡すが、見当たらず。 よじ登るしかないか、と思いいたり、周りを確認してから、棚に手をかけた。 その時。 「危ないぞ」 「?!!」 突然、かけられた声に驚いて振り返れば、黒を纏った男子生徒が立っていた。 「あ」 マスタングだ。 「古い棚だから人間一人がよじ登れば壊れるよ」 「ごめんなさい」 エドワードは棚から手を離した。 男子生徒―マスタングは少女に歩みより。 「どの本が読みたい?」 「一番上の」 タイトルを口にすれば、マスタングは驚いた顔をした。 「あの本を読む人がいるとはね」 「?」 「いや、土台を借りてくるから、ここで待っていなさい」 「あ、はい」 マスタングは背を向けてカウンターに向かった。 その背を見送り、エドワードは吐息を吐いた。 本当に真っ黒だ。 髪も。 目も。 珍しくはないはずなのに………何故だろう。 とても神秘的に見えた。 「取ってきたよ」 「あ、有難うございます」 ペコリ、と頭を下げて梯子を受け取ろうとした。 が。 「私が取ってあげるよ」 「え、いえ、自分で取ります」 「いいから」 そう言って、マスタングは棚に梯子を取り付けて、足を掛けて上っていった。 一番上の棚から、一冊の本を取り出し。 「これかい?」 「はい」 エドワードが頷けば、ロイは軽々と降りてきて、本を手渡した。 「有難うございます」 深々と頭を下げる。 「いや、気にすることはないよ」 それよりも。 「珍しい本を読むんだね」 エドワードは両手に持っていた本に視線を落とした。 本のタイトルは『歴史と政治』。 「よく言われるっ」 顔、ちかっ! 「歴史に興味が?」 エドワードが両手で持っている本を覗き込むマスタング。 はうはう、とエドワードは顔を赤らめて、頷くことで答えてから再度お礼を言って逃げるようにその場を離れた。 マスタングは首を傾げて。 「何か気に障ることを言っただろうか?」 ま、いっか。 マスタングは梯子を片手にカウンターに足を向けた。 「はぁはぁ」 図書室の一番奥まで駆けてきたエドワードは、ギュ、と本を抱きしめて。 「き、ききき」 綺麗だった。 顔が! 無茶苦茶、綺麗だった! 耳に心地いい声。 皆が騒ぐ理由が分かった気がした。 すう、はあ、と息を吸っては吐いて、窓の外を眺めた。 「世の中にはあんなに綺麗な人もいるんだな」 壁にもたれて、ズルズルとその場に座り込む。 本を床に置いて、胸元から生徒手帳を取りだし、メモのページを開く。 シャープペンシルを右手に脳裏に焼きついた男の顔を思い浮かべて描いていく。 「目は細くて、顔もシャープだったよな」 シャシャ、とシャーペンが線を繋いで。 「ん、こんなものかな」 メモに一人の男の顔が描かれた。 「やっぱり、絵になる人だよな」 この人。 マジマジ、と絵を見つめていると、右手がうずうず、と疼いてきた。 「う、う〜〜〜」 か、描きたい! エドワードは立ち上がり、駆け出した。 暫くして。 戻ってきた少女は、床に置きっぱなしになっていた本を片手に、再度駆け出す。 三階の図書室を出て二階に下りる。 一組、二組の教室の前を通り過ぎて、目的地である三組の教室を覗き込む。 「いた」 教室の真ん中で、友達と楽しそうに話している少年に目をとめた。 「ア、アル」 小さな声だったが、声にすれば、少年―アルフォンスは直ぐに気付いてくれた。 ごめん、と友達の輪から抜けて、教室から出た。 「どうしたの?姉さん」 「ば、ばか!姉さんって呼ぶな」 「ごめん。エルリックさん」 「ヴッ、それもおかしな感じが」 「どっちだよ。それよりも、どうしたのさ」 「あ、うん。その」 スケッチブック、ないか? その言葉にアルフォンスは目を瞬いた。 「え、スケッチブック?」 「う、うん」 「え、ちょ、どうしたの?」 驚きを露に問えば、エドワードは両手を重ねて、言いにくそうに視線をさ迷わせる。 「お母さんを泣かせた職業なんて嫌いだって豪語していたじゃないか」 その言葉にエドワードは俯いた。 オレの親父は絵師。 結構有名で、その世界では名を馳せていた。 だが。 絵を中心に生きる親父は母さんを見向きもしなかった。 それでも母さんは親父が好きだったから耐えていた。 が。 母さんの父さん(オレからは祖父になるのだが)見るに見かけて、母さんを呼び戻したんだ。 『あの男はお前を使用人としかみていない』 と、言われて。 母さんもどこかでそう思っていたのかもしれない。 泣きながら、離婚届の書類を親父に差し出した。 そんな時でも、親父は絵に取り組んでいた。 そんな親父を目にして。 『あなたは、絵が描ければ幸せなのね』 そう言って、母さんはオレの手を引いて家を出た。 当時、オレが十二才の頃の話だ。 弟・アルは親父が心配だからと、家に残った。 両親が離婚したその日を境に、オレは絵を描くことをやめた。 アルには勿体無い、と何度も言われた。 オレは親父の血を色濃く受継いでいた。 小学校の頃から何度も賞をとっていた。 でも。 母さんを泣かせる原因になった絵を描くことは、母さんを裏切ることになると思って筆を置いた。 の、だが。 「ど、どうしても、描きたくて」 「描きたいって、何を?」 「こ、この人」 エドワードは胸元のポケットから生徒手帳を取り出し、ページを捲ってアルフォンスに手渡す。 それを見たアルフォンスが、驚きに目を見開き。 「マスタング会長」 え? 会長? ?マークを飛ばせば、アルフォンスは盛大な溜息を吐いて。 「姉さん、この人はロイ・マスタング。三年生で、生徒会長だよ」 「え、そうなの?」 「そうなのって生徒集会でいつも前に立っているじゃないか」 「そうだったかな?」 「そうだったんです」 やれやれ、とアルフォンスは生徒手帳をエドワードに返して。 「で、会長を描きたい、と」 「う、うん」 で、でも。 「家では描きたくないんだ」 「お母さんがいるから?」 「うん」 それもある。 けど。 「今度、見合いをするって」 「見合い?」 「うん」 「そっか」 「母さんは乗り気じゃないんだけど、爺ちゃんがどうしてもって」 寂しそうに笑う母さん。 爺ちゃんはそれをとても悲しんでいた。 「お母さんには幸せになって欲しいから、僕は賛成だよ」 「それはオレも」 「でも、それを父さんが聞いたら、更に落ち込むだろうね」 「………自業自得だろ」 「そうだけど」 クスリ、と笑むアルフォンス。 アルから聞いた話では、母さんとオレが出て行ってから数ヵ月後。 絵を仕上げた親父は母さんに見て欲しいと、母さんの名を呼んで、家中を探し回ったそうだ。 それでもいなくて途方にくれていた親父が目にしたのは、離婚届。 それは居間のテーブルの上に置いてあった。 親父は呆然とそれを見つめて、静かに泣いていたそうだ。 それから暫くは、絵も描かず、仕事場で母さんの写真をじっと見つめて過ごした。 親父は母さんを迎えには来なかった。 いや。 いけなかった、と言い換えるべきか。 母さんが戻ってきても、絵を描き始めれば、同じことの繰り返し。 親父はわかっていた。 絵を描かなくなって一年が過ぎた頃、オレは一枚の写真をアルに手渡した。 花火大会に行った時の写真。 黒地に紫の花を模った浴衣を着た母さんの写真をアルは親父に見せた。 母さんは元気にしているよ、という思いで。 その思いは通じた。 親父は写真を見つめて、震える指で何度も写真の母さんの顔を撫でたという。 その翌日、親父は筆を取った。 絵のモデルは母さん。 背景には綺麗に咲く花火。 一筆一筆に親父の想いが込められた。 愛している。 愛している。 愛している。 親父からが母さんへ。 溢れる想いが詰まったその絵は賞をとり、美術館に飾られている。 本当は母さんに贈るつもりだったそうだ。 が。 アルがそれをとめた。 母さんは新たな一歩を踏み出そうとしているから、と。 親父は一瞬悲しそうに顔を歪めながらも、そうだな、と頷き、絵は美術館に保存されることになったのだ。 そうして。 今現在も親父は母さんを描き続けている。 愛を込めて………。 「それで、何処で描くの?」 「どこって………学校しかないだろ」 「美術部に入ったら?」 「それは嫌だ」 「どうして?」 「………」 「姉さん」 「人と」 「うん」 「関わるのが面倒だ」 「………姉さん」 はぁ、と溜息を吐いて。 「面倒も何も、これから生きていく為には、人間関係を築いていかないと」 「わ、わかっているけど」 苦手なんだよ。 「社会に出たら、苦手で通らないよ」 「ヴッ、わ、わかっているけど」 「たく、じゃ、どこで描くのさ」 「………教室」 「スケッチするだけなら、教室でもいいけど」 そうじゃないでしょ、と問うアルフォンスに、エドワードは小さく頷いた。 できれば、パネルに描きあげたい。 「描く場所も必要だけど、本人の許可はとった?」 「!」 とっていない。 ブンブン、と頭を左右に振れば、アルフォンスは右手で頭を支えた。 「姉さん」 「ご、ごめ」 「そういうことはちゃんとしとかなきゃ」 「ごめん」 どうしよう、とおろおろするエドワードに、アルフォンスは仕方ない、とズボンのポケットから携帯を取り出す。 「三年の先輩にツテがあるから、その人に説得を頼むよ」 「アル!」 「僕も久々に姉さんの絵を見てみたいしね」 ウィンクをして、アルフォンスはメールを送る。 「連絡が入り次第、姉さんの携帯に連絡するよ」 「ん」 「ね、姉さん」 「ん?」 「その髪と眼鏡だけど」 「あ、うん」 「もう、いいんじゃないの?お母さんが見合いするなら、お父さんにケリをつけるってことなんだし」 「そうだけど、再婚が決まるまで」 「姉さん」 「オレは親父の全てを受継いだから、母さんには辛いし」 「そうは言っても、折角綺麗な顔なのに」 「オレは綺麗じゃないぞ」 「綺麗なんです」 人差し指でエドワードの額を弾く。 「いっ」 「髪だって整えれて、トリートメントをすれば、輝くほどに綺麗なのに」 「だから、綺麗じゃないって」 「そう思っているのは姉さんだけです」 「アル」 「母さんを思う気持ちはわからないでもないけど、自分を押し殺す必要はないと思うよ」 「………」 アルフォンスの言葉に、エドワードは沈黙した。 「姉さん」 「アル、ありがと」 ニッコリと笑んで。 「じゃ、オレ行くから」 連絡、待ってる、と言い残し、エドワードは廊下を駆けていった。 その背を見送って。 「はぁ〜〜〜、もう」 人のことばかり気にして、自分のことは二の次、三の次で。 もっと、自分を優先にしてもいいのに。 深い溜息を吐いて、アルフォンスは教室に戻った。 − 続 − 08/08/10UP |