□ 見えない発信機 U−\ □










「はぁ」

 執務室で決裁をしながらロイは溜息を吐いた。
 それを耳にしたホークアイは目を眇めて。

 これで十五回。

 デスクの左端で書類を確認していたホークアイは、怪訝そうな視線をロイに向ける。
 それに気づいていないロイはまたもや溜息を吐いた。

「准将」

 呼びかけるものの無反応。
 手だけが、実務的に動いている。

 心ここにあらず。

 リザは胸中で嘆息して、腰に提げている銃を取り出し、銃口を天上に向けて引き金を引いた。

 パン、パパン

 室内に轟く銃声に、ロイは身体を強張らせ、驚愕を露に立ち上がり周囲を見渡した。

「え、あ」

 何事もない。

 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、聞きなれた音を耳が拾った。
 ロイが顔を向ければ、銃を構えたホークアイが目に入った。

「え、あ、ではありません」
「ち、中尉。銃を下ろしたまえ」
「できません」

 ロイの命令を拒否して、ホークアイは鋭く相手を睨み付けた。

「本日は大変お疲れのようですね」
「え?」
「朝から十五回も溜息を吐いています」

 私がいない間にも吐いているだろうから、それ以上だとは思うけれど。

「はっきり言って、ウザイです」
「ウザイって」
「何か心配ごとでもありましたか?」
「い、いや、心配ごとなどは………ただ、雨が、ね」
「それだけとは思えないのですが」

 銃を納め、リザは真っ直ぐにロイを見据えた。

「エドワードちゃん、ですか?」
「!」
「准将の心配ごとはそれしかありませんから」
「そ、そうかね」
「ええ、彼女以外のことで、准将はそんなに思い悩みません」

 えらい言われようだな、と思いながらもロイは万年筆を置いた。

「エディがイーストに来て、二ヶ月だ」
「はい」
「仮の婚約者になって一ヶ月」
「はい」

 ロイは肘をデスクの上にかけて、両手を組み額を乗せた。

「………昨夜、セントラルから家に電話があった」
「大総統からですか?」
「いや、ヒューズからだ」
「そうですか。お元気でしたか?」
「ああ、元気だったよ。相変わらずの親馬鹿でグレイシアとエリシアの話を三時間も聞かされた」
「それはそれはお疲れ様です」
「全くだ」
「では、お疲れの原因はソレですか?」
「いや」

 ふぅと重々しい吐息を吐いて。

「私とエディの婚約の話が、セントラルでも広まっているようでね」
「そうですか」
「驚かないのかね」

 表情を崩さないホークアイに知っていたのかと思ったが。

「これでも驚いております」
「そうか」
「はい。ですが、エドワードちゃんの下宿先の主はマーナ様です。彼女がこんなに楽しいことを兄である大総統に黙っているとは思いません」

 ホークアイの言葉にロイは目を見開いて、デスクに沈没した。

「そうだった………」

 忘れていた。
 あのマーナ叔母さんが、黙っているはずが無い。
 それに今回は私とエディのことだ。
 父上に言わないわけがない。

「お忘れだったようですね」
「ああ、すっぱりと頭から抜けていたよ」
「それは、ご愁傷様です」

 書類の確認をしながら、淡々と答えるホークアイを横目に、ロイは溜息を吐いた。

「それで、ヒューズ大佐はなんと?」
「ああ、『とうとう片思いが実ったか!早く結婚して子供を作りやがれ!』だ、そうだ」
「そうですか」
「セントラルの軍内部ではその話でもちっきり出そうだ。近々、セントラルの将軍が視察としてお見えになるそうだよ」
「それはまた鬱陶しい。失礼しました」
「いや、構わん。その通りだからね」

 はぁ〜〜〜〜〜、と盛大な溜息を吐いてロイは顔を上げた。

「それで、視察の時はエドワードちゃんをどうするおつもりですか?」
「そうだね」

 どうしようか。

 ロイはふぅと息を吐き出して、デスクチェアーを百八十度回転させ、窓ガラスを叩きつける雨に目を向けた。

 視察という建前で、エディを悲しませてから恋人を作らず、見合いの話がきても拒み続けていた。
 一時はゲイだと軍内部で噂がたったほどだ。
 それを真に受けた、変態上司から言い寄られたこともあった。
 その私が婚約。
 そして。
 相手は一般市民の女性で年下。
 セントラルの暇人もとい年配将軍等の殆どが私に見合い話などを持ってきた方々だ。
 その方々が来る。
 それは。
 婚約者であるエディを、エドワードを視察にくるということで………。

 そこまで思い、ロイは顔を歪めた。

 遠くから見るだけならいい。
 だが。
 それだけですまないのはわかりきっている。
 エディを舐めるように見つめて。 
 本人を前にして悪態をつくに決まっている。

 乱雑に頭を掻いて。

 私への怨み嫉みをエディにぶつけられてたまるか!
 彼女を二度と泣かせないと、悲しませないと誓ったのだから。

「全く、老人は老人らしく、大人しく余生を過ごせばいいものを」
「それは無理でしょう。ここは腹黒い豚の集まりですから」
「中尉」

 また、実も蓋も無い言葉を―………。

「今回も笑顔の仮面を貼り付けて、早々にご退場を促してください」
「そうするしかないね」
「ええ、でないとエドワードちゃんが辛い目にあうのは、目に見えておりますので」
「そうだね。やれやれ、こう敵が多いと困り者だね」
「それだけ准将が人気者ということです」
「それは嬉しいね」

 細く微笑むロイを一瞥し、トントン、と書類を纏めてそれを両手に、ホークアイは一礼して執務室を後にした。
 扉が閉まり、部屋に雨音が満ちる。


 しとしとしと


 さーさーさー


「ふう」

 身体が重い。
 原因はわかっている。
 この雨の所為だ。

「早く梅雨が終わればいい」

 苦々しく言葉を吐いて、ロイは身体を震わせた。

 寒い―………。

 右手で左の二の腕を摩り、ロイは腰を上げた。
 デスクを迂回し、ソファに歩み寄って。

 ボスン。
 
 倒れるように横たわった。

 雨
 エディ
 セントラルの将軍

 目まぐるしく、それらが頭の中で暴走する。
 
 まったく。
 この時期はまともに頭が動かない。

「ふぅ」

 仰向けに寝転がり、肘掛に頭を乗せて右腕で目蓋を覆った。
 その時。 

 コンコン

 扉のノックが耳に届いた。
 けれど。
 言葉を発するのも億劫で、ロイは無視を決め込んだ。
 すると。

「准将」

 心地いい声が鼓膜を叩く。
 ロイはガバリと上体を起こし、扉に顔を向けた。
 そこには昼食を乗せたトレーを両手に、室内を窺うエドワードが立っていた。

「エデ、エドワード」
「ご、ごめん。食事を置いたら出て行くから」
「いや、構わないよ」
「で、でも、気分が優れないんだろ」

 室内に入り、扉を閉めて心配そうにエドワードが問いかけてくる。

「大丈夫だよ」

 ロイは心配させないようにニコリと笑う。
 けれど、エドワードは辛そうな顔でロイを見つめて。

「辛い時に無理に笑うなよ」
「え」
「目が虚ろだ」
「!」

 ロイは小さく目を見張った。

「雨、嫌いなんだろ」

 どうしてそれを。

 ロイは目を眇めてエドワードを見つめた。
 その目を真っ直ぐに見据えて。

「ロアンさんに聞いた。雨と雪は駄目だって」
「そうか」
「ごめん」
「どうして謝る?」
「聞いちゃいけなかったみたいだから」
「そんなことは」
「あるだろ」
「エドワード」
「さっき、聞いて欲しくなかったって目が訴えてた」

 トレーをテーブルに置いて。

「ごめんな」

 申し訳なさそうに謝ったエドワードに、ロイは小さく頭を左右に振って。

「雨と雪が嫌いだなんて、子供じみているだろ」
「え」
「だから知られたくなかったんだ」

 キミには、とロイは苦笑いをして言った。

「べ、別に子供じみてなんかいない!」
「エドワード」
「嫌いっていうことは何か理由があるんだろ」
「!」
「なら、別に子供じみてなんかいないよ」

 エドワードの言葉にロイは柔らかい笑顔を見せて。

「有難う」
「ん?礼を言われることなんて言ってないぞ。それよりもご飯食べられるか?」
「ああ、いただこう」

 ロイはソファに座りなおした。
 エドワードはテーブルに料理を並べて。

「どうぞ」
「いただきます」

 本当は食欲が無いロイはそれを無理やり口に含み、噛みもしないで飲み込んだ。
 それを見ていたエドワードが慌ててロイから器を取り上げた。

「エドワード?」
「作り直す」
「え?いや、それで」
「無理して食べてくれても嬉しくない!」
「!」

 バレている。

 ロイの食事をトレーに戻しながら。

「リゾットなら食べられるか?」
「あ、ああ、それなら」
「じゃ作ってくるから」
「でも、その食事が」

 捨てるなんて勿体無いと言うロイにエドワードは小さく笑って。

「これは後でオレが食べるから」

 それだけを言い残し、エドワードは執務室を後にした。
 その背を見送って、ロイは背凭れに身を委ねた。

 心配、させてしまった。

 両手で顔を覆い、ズルズルとソファに横たわった。

 ああ、もう。
 頭の中がグチャグチャだ。

 静かな室内で、雨音が響くき、否応無く脳裏に浮かぶのは。

「っつ」

 小さく頭を振って、下唇を噛み締めた。





 ロアンから太鼓判を押されたリゾットをトレーに乗せ、早足で廊下を駆け抜ける。
 執務室の扉の前で足を止めて、右手を掲げる。
 ノックをしようとして、思いとどまる。

 寝ているかもしれない。

 そう思い、エドワードはノブに手をかけた。
 静かに扉を開けて、閉める。
 足音をなるべくたてずにソファに歩み寄れば。

 やっぱり、寝てる。

 微かだが、顔を覆う両腕の隙間から寝息が聞き取れた。
 エドワードはトレーをテーブルに置いてから、四つん這いでロイに近寄った。
 暫く寝入っているロイを見つめていたが。

 顔に両腕を覆って、苦しくないのかな?

 気になりだしたら、止まらない。
 うずうずと両手が疼く。
 両腕を外して、寝顔を見てみたい、と。
 恐々と人差し指でロイの腕を突く。

「起きないよな」

 小声で呟いて。

 起きるなよ。

 そっとロイの腕を慎重に下ろす。
 左腕を下ろし。
 右腕を持ち上げれば。

「っつ」

 なんて顔をして寝ているんだよ。

 眉間に皺を寄せ、痛々しくも顔を歪めて眠っているロイを目にしたエドワードは、右腕を下ろして、男の頬に左手を添えた。

「こんな顔で寝るんじゃねーよ」

 准将、と辛そうに言葉を紡ぎ、エドワードは親指で眉間の皺を揉み解した。
 それでも皺は一向になくならない。
 そのことが歯がゆくて。
 けれど。
 自分ではどうしようもなくて。
 エドワードは悔しそうに下唇を噛み締めた。
 その時。

「うんっ」

 顔を反らせ、ロイは右手で胸元を鷲掴む。

「准将?胸が苦しいのか?」

 ロイの顔を窺いながら、エドワードは軍服に手をかけた。
 上着のボタンを外し、ワイシャツのボタンを上から三つほど解いた。
 すると、寝顔が幾分か和らいだ。
 エドワードはほっと胸を撫で下ろし、躊躇いながらも漆黒の髪に手を添え。

「ちょっとはマシになった?」

 前髪を後ろに、髪を梳くように頭を撫でた。

 うわ、触り心地がいい髪だな。

 ロイが起きないことをいいことに、エドワードはその感触を楽しみ、男の寝顔を満喫する。

「お、眉毛長い。あー整った顔をしているよな〜」

 もう片方の手で、頬を指で撫でれば。

「冷たい頬」

 冷えているのかな?

 エドワードは何か掛けるものと思い周囲を見渡せば、扉の傍に置かれているコート掛けにかけてある黒のロングコートが目に入った。

「准将のコート」

 暫く迷ってから。

「ないよりは、合った方がいいよな」

 ロイから離れ、ロングコートを手に戻った。
 足元からロイの身体をコートで覆う。

「ゆっくり休めよ」

 そう声を掛けて、エドワードは昼食にしようとテーブルに身体を向ければ、ツンと服が突っ張った。

「え?」

 後ろを振り返れば、シャツの裾を男が掴んでいるではないか。

「え、え、え、起きたのか?」

 ロイの元に戻り、顔を覗きこむが起きた気配はない。

「じゃこれは………無意識………」

 思わず顔を緩ませた。

 う、嬉しいかも………。

 エドワードはロイの顔の傍に寄り、漆黒の髪に手を添えた。

「何処にもいかないよ」

 オレでよければ傍にいるから、と囁き、髪を優しく梳いた。

 何度も。
 何度も。

 ロイの手がシャツから外れるまで―………。





 そうして。





 日は暮れて。
 ロイはゆっくりと目を覚ました。

「あ………」

 見慣れた天井が目に入って。

 寝入ってしまったのか。

 溜息を吐き、頭を左に向ければ金が視界を覆った。

「え?」

 瞬きを数回して。

「これは」

 右手を金に伸ばすとしっとりとした触感が返ってきた。
 そこで、ロイはガバリと上体を起こした。

「エディ!」

 呼んでから慌てて右手で口唇を塞いだ。
 ソファに頭を預け寝入っているエドワードの様子を暫し窺う。
 すーすーと寝息を耳にして、ロイはほっと安堵してから、顔を赤らめた。

「………見られた」

 寝顔―………。

 恥かしいといわんばかりに、口元を右手で覆い、チラリとエドワードに視線を向けた。

 寝顔、ね。

 ロイは掛けてくれた自分のロングコートを両手に、ソファから身体を下ろし、床に腰を下ろした。
 ロングコートをエドワードの肩に掛けて、彼女と同じようにロイはソファに顔を預ける。
 エドワードの寝顔を見入る為に。
 真正面からエドワードの寝顔を視界に納めて。

 あどけないな。

 指で横髪を後ろにはらい、円やかな頬に触れた。

 ああ、柔らかいな。
 金の眉毛に睫毛。
 形のいい鼻。
 そして。
 仄かに赤い口唇。
 エディ。
 キミは本当に可愛く育ったね。
 あと、幾年かすれば、可愛く、いや、綺麗になる。
 今以上に男が放っておかないだろうね。

 クスリと笑って。

 それは、私も、だ。

 でも。

 ロイは目を細めて、口唇を開いた。


 ― 私はキミを求められる人間ではないから ―


 声を出さずに、囁いた。

 幸せになって欲しい。

 愛しい

「エドワード」





   − 続 −



   06/11/12UP