| 黒を纏った男が視界に入り、心音が高鳴ると同時に恐怖が襲った。 何故? 見たことも、会ったことも無い人なのに………。 なぜ、脅えているんだ? 考える間もエドワードは男から三歩下がって、目線を逸らした。 注文の料理を作っている間も男のことが気になっていた。 歓喜と悲哀。 それらが胸中で入り乱れている。 「たく、何だっていうんだ」 吐き出すように言葉にして、エドワードはクリームパスタを仕上げて皿に盛り付けた。 「エド、それができたら野菜サラダを作っておくれ」 「はい」 「ああ、パスタはカウンター一番席だ」 「!」 一番席はあの男がいる席。 コクリと唾を嚥下し、エドワードは皿を手に持って男の下に足を向けた。 騒がしいはずの店内。 なのに今は自分の心音しか聞こえない。 オレは何を緊張しているんだ。 らしくもない。 ―――――――――聞いてみようか。 あと三歩の所でエドワードは顔を上げた。 すると、まっすぐに男がエドワードを見つめていた。 ドクン。 痛いほどに高鳴る胸。 本当になんだっていうんだよ。 自分自身に叱咤して、エドワードはカウンター越しにクリームパスタを男の前に置いた。 「お待たせしました」 「ああ、有難う」 フォークとスプーンはマーナが出してくれたのだろ。 それを手に男はそれを手に一口食べる。 「うん。美味しい」 「有難うございます。あ、あの」 「ん?」 食べている最中に失礼かと思ったが、エドワードは男に声をかけた。 男は別段、怒ることもなくエドワードを見上げた。 「あ、あの、オレのことを知ってますか?」 「キミのことを?」 「は、はい」 心臓が早鐘のように胸を叩く。 エドワードはギュと両手を握り締めて、男の言葉を待った。 男は一瞬目を見張り、考えるそぶりを見せてから。 「いいや、先ほど、マーナから紹介されて初めてキミのことを知ったよ」 その言葉にエドワードは顔を真っ赤に染めて。 「!………そ、そうですよね。すみません。失礼なことを聞いて」 「いや、構わないよ」 「それではごゆっくり」 一礼し、エドワードは慌しく厨房に戻った。 その背を見送り、男は小さな溜息を吐いた。 店が閉店時間になり、マーナがドアの鍵を閉め、エドワードはテーブルにイスを上にあげていく。 「お疲れ、エド」 「お疲れ様。マーナさん」 「コーヒーでも入れようか」 「じゃオレが」 「いいよ。うちが入れるからエドはそこに座ってな」 「はい」 カウンターの真ん中に座ったエドワードは、慣れた手つきでコーヒーの準備をするマーナを眺めていた。 「エド」 「あ、はい」 「アンタ、ロイぼ…・・・ロイのことを知っているのかい」 「え?」 「聞いていただろ。オレを知っていますかって」 薬缶をコンロの上に置き、火を点けた。 「聞いていたんですか」 「聞こえたんだよ。で、知っているのかい?」 「い、いえ、オレは知らない」 「?………知らないのに聞いたのかい」 「え、あ、そう……です」 「何故だい」 「え?」 「聞くとなれば、何か理由があったんじゃないのか?」 マーナの言葉にエドワードはビクリ、と身体を震わせて顔を俯かせた。 「エド」 「………マーナさん」 「ん?」 「知らない人を見て心臓が高鳴ることってありますか?」 「………あるんじゃないか」 「え?!」 勢いよく顔を上げるエドワードにマーナは口の端を上げて。 「ほら、一目惚れとか」 「ああ、いや、そういうのじゃなくて」 落胆するエドワードにマーナは首を傾げる。 「?………なくて」 「その嬉しくもあり、悲しくもありって感じで」 「ほう」 「わかりますか?」 「知らない人に」 「はい」 「初めて会った人に」 「はい」 「喜びと悲しみを感じる、か」 「はい」 エドワードは頷いた。 それを横目にマーナは薬缶を眺めた。 暫く時が経ち。 薬缶が沸騰する。 マーナは火を止めて。 「普通は感じないな」 「!」 エドワードは跳ね上がるように顔を上げた。 「エド、本当にロイのことを知らないのかい」 問われてエドワードは過去を思い出す。 だが。 黒を纏った男の思い出などなくて、エドワードは頭を左右に振った。 一人だけ知っているけど、全く違うしな。 「そうかい」 「あ、あの、オレおかしいのかな」 「ん〜〜〜どうだろうね。ま、それを一目惚れで済ませるのは」 「いきません!」 「断言するね〜」 「や、だって」 「カッコよかっただろ」 「!」 「叔母のうちがいうのもなんだがね。アイツは女にもてる顔と容姿をしていてね。一時は幾人もの女と交際をしていたんだよ」 「………幾人も?」 「そう。はっきり言って呆れたね。だが」 「?」 「ある日、一人の女に出会ってね。最初はわからなかったらしいが、その女を傷つけてから、自分の想いに気づいたらしくってね。長年の片思い中だよ」 「片思い」 あの男が? 信じられない。 「信じられない?」 「だ、だって落ちない女なんていないように見えるから」 「おうおう、いうね〜。確かに、あの容姿と声だからな。落ちない女はいないな〜」 あはは〜と笑ってマーナはドリップでコーヒーを淹れて、カップをエドワードの前に置いた。 いい匂いが鼻腔を擽る。 「どうぞ」 「いただきます」 両手でカップを持ち上げ、コクリと一口飲んだ。 「美味しい」 「有難う。料理もだが、コーヒーや紅茶もこの店の売りなんだよ」 「そうなんだ」 料理だけではなく、こういったお茶も美味しく淹れるようにならなければいけないのか。 「ゆっくりでいいよ」 「え」 「アンタは料理が得意そうだからね」 「あーはい」 マーナに見抜かれていたことにエドワードは微笑した。 「夜食はどうする?食べるなら作るよ」 「いや、いいよ」 コーヒーだけでお腹がいっぱいだ。 ううん。 本当はもう身体がくたくたなのだ。 シャワーを浴びて、ベッドに潜り込みたいという欲求の方が勝っていたエドワードは頭を左右に振り、コーヒーを飲み干し席を立った。 「じゃオレはもう寝るから」 「ああ、今日は有難う。明日も頼むよ」 「はい。おやすみなさい」 「おやすみ」 エドワードが二階に上がったのを確認して、マーナは厨房の裏口のドアを開けた。 「聞いていたか?」 「いえ、はっきりとは」 そこには、一度家に帰宅し私服に着替えたロイ・マスタングが立っていた。 マーナはマグカップをロイに差し出した。 「冷えただろ」 「いえ、そんなには」 マグカップを受け取りながら答えるロイにマーナは強がって、と呟きを落とす。 「エドはね」 「はい」 「アンタを見て心臓が高鳴ったんだと」 「!」 「一目惚れかと思いきやそうじゃない。嬉しさと悲しみが入り混じった感情が芽生えたそうだ」 見ず知らずのアンタに、だ。 その言葉にロイは息を詰めた。 「記憶は無い。けれど、身体は、いや、魂は覚えているのかもしれないな」 「………そうですか」 ロイは痛々しい顔でマグカップに口をつけて、コーヒーを飲んだ。 「私は彼女の前に姿を出さない方がいいのだろうか」 「さぁね。うちはなんとも言えないね」 「叔母さん」 「ロイ坊、これはアンタのことだ。第三者が口を出しても意味は無いんだよ」 「それは………わかってます」 「自分のことだ。自分で考えろ」 うちはそこまで甘くは無いよ、とマーナはロイを切り捨てた。 「相変わらず、手厳しいですね」 「それがうちだからな。グジグジと悩む男は嫌いだよ」 「ハハハ、そうですね」 空笑いするロイを見据えて。 「そろそろ、十年の片思いにケリをつけたらどうだ?」 「ケリ、ですか」 「ああ、償うのも結構。だがな、傍で見ているこっちはじれったくて仕方が無い。欲しいなら欲しいと行動でしめせ」 「しかし」 「しかしもくそも無い!」 ダン、とロイの顔の真横に右拳を叩きつけた。 パラパラとコンクリートの破片がロイの肩に落ちる。 「十年間。アンタがあの子に対して償ってきたのは知っている。でもね、それだけじゃないんだろ。好き、なんだろ。だったら行動に出せ。いつまでも、ウジウジするんじゃないよ。それとも」 ずい、とロイに顔を寄せ目を眇めた。 「誰かに取られてもいいのか」 鋭い眼差しに低い声で囁く。 「軍部は男所帯だ。そこにあの子は働きに行くんだよ」 「っつ」 「想像しなくてもわかるだろ。あんなに可愛い無垢な子を放っておく男はいない」 ギリ、と奥歯を噛み締めるロイにマーナはニタリと笑って。 「交際を申し込むならまだいい。だが、それ以外にも男は女を汚すことができるんだよ」 「!」 「アンタは知っているだろ。軍がどういう所か」 「っつ」 ロイは反射的にマーナを睨み付けた。 マーナはそれを受け流し、ロイからマグカップを取った。 「ま、精々頑張りな」 「叔母さん」 「うちにいる限り、変な男には纏わりつかせないよ」 だがね。 「軍部に入るときは別だ。意味、わかるな」 「………はい」 「だったら、早くケリをつけることだね。あの子は足長さんを探しに来たと言っていた」 「!」 「見つかれば、田舎に帰るだろうさ」 じゃぁな。おやすみ、と言い残しマーナはドアを閉めた。 ロイは閉じられたドアから視線を逸らすように、夜空を見上げた。 「足長を探しに―………」 眉間に皴を寄せ、ロイは下唇を噛み締め。 「馬鹿だ。お前は…・・・…」 悲しげに呟きを落とした。 − 続 − 06/08/14UP |